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幸せな時間

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

7/7に入籍をした私達の時間は、幸せで一杯でした。
ただ、心残りなのは【二人で式を挙げて、披露宴は身内だけ】の希望が、

『式なし、披露宴は彼の実家形式の近所も来てしまう』パターン
・・・最悪・・・

何で最悪かって?
『自分が主役』が苦手・・・ですから・・・

で、二人の結婚写真も何だかんだで、撮らなかったなぁ。

彼の実家の言いなりで、不満の私。
彼の弟の結婚式に「長男の嫁が着物でないなんて!」
そんな古い考えの家に、嫁に行ってしまった~

私にしてみたら「嫁に行ったのではなく、彼の妻になった!」んだけど。

土地柄もあるとは思うけど、やはり『嫁』と言う立場は厳しい!
そして、夫が妻のことを『嫁なんだから』といい始めたら、大事に発展しかねない!!(世の旦那さん“実はこれも差別的表現なんだって。本当は[夫]と言うものなのだそうです”『嫁』という言葉は、夫の両親がするべき言い方ですよー)

まあ、同居ではない分良かったかもしれないけど、殆ど週末は彼の実家行き。

田植え、稲刈りの手伝い(まあコレはコレでいい経験ですが)

最初はいいけど、段々足取り重く。

入籍して暫くして姑の「あんたたち子供は?」の一言。

ふーぅ。
私の病気があるから、慎重にと言うのもあるけど、二人の時間を楽しみたかった。
子供が子供を産むような気も。
挙句「不妊症」的に言われる始末・・・
わざと、妊娠してないんですっ!心の中で声を大にした。

UCの為に病院へは1回行き、特定疾患の申請をしたけど、パスしなかったので、それからは全く行かず、薬も飲まなかった。
体調もまずまず!
そんなこんなで、入籍して1年経った頃、彼の方から「早く子供が欲しい」と言われるように・・・

悩んだ結果、OKした。

そして・・・

その日は暑かった

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

女性として、毎月来るべきものが来ない。
予定より2日ほどして「もしや!」
妊娠判定薬を、出してきて調べる・・・
『やっぱり!!』

この日は午後から仕事が入っていた(HMVのDJ)ので、早めに家を出て、産婦人科を探す。
何処に言って良いのか分らず、思いついたところへ行くと、やってるの?と思うほど暗ーい感じ・・・
で、別の所を探し出し、意を決して入ると「先生は午前中居ないんです」という返事が・・・
「じゃあ、近くにないですか?」
と、歩いて10分ほどの所を教えてもらった。

最初の所から巡り、どの位歩いただろう?
この日は、7月上旬、暑かった~

やっと産院に着く。
なんと、静かな所だろう?

診察の結果、妊娠間違いなしとの事!
まだ初期段階。
「2週間後にきてください」
そういわれ、仕事に向かった。

勿論彼には即連絡しましたよー!

その日は何ともなかったのに、何日かして、つわりが始まり、最悪・・・
日々暑くなる夏。
本当にご飯が炊ける匂いって、来るんだ~なんて、感心してる場合ではない。
今までとは別の意味で、トイレとお友達に。

そんなこんなでも、仕事はボチボチやってました。(DJ・MC)
旦那は自分より稼ぎがいいのが嫌だったみたいだけど。
一人、知らない土地で、部屋にぽつんと居るよりは、仕事でもしていたほうが気がまぎれる。

でも日々、酷くなる“つわり”何とかしてーて感じでした。
そのうち旦那は「怠け病」と言ってくるから血管切れそー
血管切れなかった代わりに、扇風機張り倒したっけ・・・

そんな2週間後には、この夫婦に衝撃的な出来事が起こるのでした!

夫婦の衝撃!

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

妊娠発覚から2週間。
Dr.の指示通り、受診に行った。
先ず内診。
「未だにコレって嫌だな~」などと思いながら居ると、Dr.が

「あれ?」

と一言!

「えっ?“あれっ?”て何?もしかして、子宮外妊娠とか?」
などとあれこれ、嫌なパターンを頭の中で考える。

コメントがないまま、「赤ちゃんの心音を聞きましょう」と、機械を当てる。
『どくどくどく・・・・』早い心音が聞こえてきた。
「元気ですね~」
その言葉にホッとする。
すると、Dr.はその機械を、別の場所に移動させた。
『どくどくどく・・・・』
「?」
「何で?共鳴してるのかな?」と考えていたら、急に
「ツインズですねー」
「?・ついんず?何かの医学用語??????」
「!!えーっツインズって【双子ー?】」
一気に頭混乱の私。

それからエコーをして、胎児が二人いることを確認。
プリントしてもらった。

驚きから、段々とニヤケ顔に・・・
双子だとココでは、イザという時に設備がないからと、総合病院に移ることになった。
以前UCの診察をした所に決める。

産院を出て、彼に連絡
「今日早く帰って来れない?大事な話があるの」
「えっ?どうしたの?」
「帰ってきてから話すから。」

さっき貰ったエコー写真を見せて、驚かせてやろう!
きっと彼なら喜んでくれるに違いない!

楽しみ一杯で、家路に着いた。

彼の反応

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

彼が帰宅。
「話って何?」すぐさま聞いてきたので、
「まずは着替えてきてよ」

冷静に言われるものだから、余計に気になるらしい、着替えの早いこと!
「で、何?」
「座ったら?」
意地の悪い私である。

そして本題。

「今日、産婦人科に行ってきたんだ。順調みたい」

何だそんなことか?きっとそう思ったに違いない。

「で、これをくれたんだ」とエコー写真を見せる。
「これが赤ちゃんだよーそれから、これも」

「????」
「!!えっ?双子?」

最初は戸惑いの顔だったが、みるみるニヤケ顔に・・・
私と同じ反応に、何だかオカシクなってしまった。

そして彼はこう言った。
「この子はきっと、あの子の生まれ変わりだよ!」と・・・

私の病気のせいで、この世に生を受けることが出来なかった我が子。
その生まれ変わり・・・私もそう感じずにはいられなかった。

お腹の子供が“双子”と判り、今まで知らない土地で頑張ってきた仕事を、休養することにした。
きっと、早々とお腹が大きくなるだろうし、つわりもキツイ。

自分一人の体でないことの、重責見たいな物を感じた。

さて、その後彼は、実家に帰った時、私がしたことと同じ事をして、“双子”報告してました。
どうやら、悔しかったようです。

その夏は暑かった

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

つわりが気になるせいか、相当に暑かった。
関東に住んでいる人には、「九州って暑いんでしょ?」とよく聞かれたけど、福岡は東京とそう大差ない。(逆に東京の方が、暑い気がするのは私だけ?)
冬なんかよく雪が降るもんね。
だって、玄界灘に面してるんだから・・・

みるみるお腹が重くなってきて、買い物も億劫に。
福岡では車は運転したくない・・・(怖い~)
かつては、友達と共にサーキット場を借りて、走ったりしたのに、ここでは運転したくなかった・・・
暫く、住所変更せずナンバープレートで【よそ者】を装ってた位、運転が皆荒いのです。

だから、歩いて10分ほどのスーパーへの買い物も、本当に大変・・・
途中でへばって、花壇の減りに座り込んだりして、頑張った!

当時社宅の3階に住んでいたけど、古い住宅。エレベーターなどありもせず、社宅前に着いたら、今度はその前に置いてある、ベンチで休んでから、階段を上っていった。

そんなこんなで妊娠5ヶ月。
そろそろ胎児の性別が判明する頃である。
エコーを見ながらDr.が
「一人は男の子だね~」
それを聞いて、
「間違いないあの子が帰ってきたんだ!」
そう思った。(帰ってから、彼に報告すると、同じ言葉が出た)

「もう一人はたぶん女の子だと思うけど、隠れてるかもしれないし・・・」

頭の中では「絶対女の子!男二人は私には太刀打ちできないよー」と叫んでた。

彼は「男の子でもいいじゃん」と言うので、
「じゃあ幼稚園の頃に二人して【何とかキーック】とかいって攻撃されるの想像してみなよ」
それを行った途端
「絶対女だ!!」

二人して祈った夜でありました。

電車の中での妊婦の存在(番外編)

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

双子ともなれば、7ヶ月には臨月のようなお腹。
今にも生まれそうなほど!

私は定期検診へは、一駅電車に乗っていた。
福岡では車は運転したくないし、このお腹の大きさで、マニュアル車の運転はどうかと・・・?

診察帰り電車に乗り込んだ。
座れそうな場所は無いし、一駅なのでドア前に立っていたら、フラフラとした老婦人が
「ココに座りなさい。もうすぐ生まれるんでしょう?」
と席を立って言ってくれた。
確かにお腹の重さと、この後の道のりを歩くことを考えると、少しでも座りたかった。
しかし、声を掛けてくれた、ご婦人の方が「座って下さい」と言いたくなる位、ヨロヨロしている・・・
「ありがとうございます。次で降りますから、大丈夫です」
とお断りしたが、周りを見ると、見てみぬ不利の多いこと!
なんとも残念で仕方が無い。

その数年後、私は電車で、ご年配の方を見かけると、つい席を譲ってしまう癖が着いてしまった。
恩返しみたいなものなのだが、昨年外来に行く車中で譲った後に気づいた・・・
「そうだ、私オペ後で辛かったんだ~」

そんな話を母にしたら
「あんたバカ?」

酷い~そこまで言わなくても~
と思いながらも、自分でも思ったりして・・・

それからは、外来に行く時には、特急指定席で行くようになりました。

入院・・・

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

「早産が心配だから、早めに入院してくれるといいんだけどな~」とDr.に言われていたが、彼の反対もあったし、二人で過ごす最後の正月だし、ギリギリまで家にいることに決めていた。
その頃には、想像を絶するお腹の大きさ!
いつ生まれてもおかしくないほどに。
それでも、出てくる気配は0・・・予定日は3/3そこまで行ったら、こちらが持たない!
なんて思っていたある日、風邪を引いてしまった。

念のため状況を電話で病院に知らせると、「入院してくれると一番いいんだけど」と言う答え。
「判りました」
スグ身支度をし、タクシーで病院に向う。
彼には、病院から連絡したが、『仕方が無いか』という反応だった。

6人部屋。
もう出産を終えた人などがいる中、和やかな雰囲気。
赤ちゃんを見ながら「もうスグ私も!」などと思いながら過ごす。
しかし、特段体調の変化も無く、風邪も収まった・・・暇で仕方が無い。
病院内を歩いていると「双子ですか?」と声を掛けられ、「触っていいですか?」とくる。
病棟では看護師さんに「後ろから見たら妊婦に見えなかったけど、横から見てくにえさんと判ったよー」と言うほど、前へのせりだしが凄かった。
それなのに、出てきてくれない・・・
いつの間にか、その部屋の主になっていた!

この年は『長野冬季オリンピック』の時。
暇な私が、フィギュアースケートを観ていると、Dr.が、「出て来そうに無いので、そろそろ、出しましょうか?このままお腹にいても母体に負担がかかってしまうだけなので」

そう言う訳で、2/16夕方内服の陣痛促進剤を使った。
それと同時に彼に連絡「今夜には生まれるかも」

そしてそこから、長ーい夜が始まった。

それは長い時間だった・・・

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

2/16日夕方、陣痛促進の薬を飲む。

暫くして「あっお腹痛くなってきた~」

いよいよだと、覚悟を決め“その時”に向け気持ちを切り替える!
がっ・・・
徐々に雲行きが怪しくなってきた。
だんだんと、お腹より頭の方が痛くなってきたのだ!
その傷みは、更に酷くなる。

いつでも分娩室に移動できるように、陣痛室に移ったのだが、その“陣痛”なるものは、どこかへ消え、割れんばかりの頭痛に七転八 倒・・・
「今夜生まれるかも」の連絡に飛んできた彼も、私の頭痛に付き合わされる羽目になった。

あまりの頭の痛さに「鎮痛剤コール(ナースコール)」するが、やはり薬は出してもらえず、結局一晩中、「頭が痛い~」を繰り返していた。

頭痛が収まったのは、窓の外が白み始めた頃。

「生まれるって聞いて、一晩ココにいたけど、お前の頭痛に付き合わされただけだったな~」と彼。

互いに苦笑い。

朝食が出るが、吐いたりしたほどの、頭痛の後・・・何も入らない・・・
それより、眠りたかった。
この一夜でグッタリだ。
これから我が子を出す仕事が待っていると思うと、寝て護摩化したかった・・・

暫く仮眠を取り、2/17日午前9時、人口的に破水させた。
これで、やっと、子供達の顔を観ることが出来る!
なんていう考えは、かなり甘かったみたい。

そこから、更なる戦いが待っていた!

日の丸飛行隊?

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

2/17午前9時、人工的破水。
そのまま分娩室へ。
横には、頭痛の妻に一晩中付き合い、寝不足の彼が。

段々と陣痛が強くなってくる。
「破水させれば、きっとその時は早いだろう!」
などという考えは甘く、陣痛がドンドン強くなるのに、出てくる気配なし・・・
彼は背中をさすってくれるが、心の中では
「そこじゃないっ!もっと腰の方!!」
などと、叫んでいるけど、折角の気持ちを損ねてはと、グッと我慢した。

お昼も過ぎて、体力的にもクタクタ・・・
昼食も入らない。

大分降りてきた気がして、「もう出て来るでしょう?」と助産婦さんに聞くが、「まだまだですよー」
気が遠くなる。

午後2時頃「そろそろ分娩準備に入りましょう」の声に一瞬ホッとする。
「ご主人は退出してください」
そこでは、立会いはしていないとの事。
以前何かトラブルがあったようで・・・
(その時立ち会っていたら、今の状況は変わっていたかな?)

イザ出陣てな感じ。
本当の闘いはこれから!

今までは陣痛に耐えていただけでよかったけれど、今度はそれにあわせて、いきまなくてはいけない・・・

それにしても、我が子らは何で出てこようとしないんだ?
お腹の中の居心地が良いのだろうか?
双子って、普通早く生まれるものじゃないの?

そんな風に思いながら、頑張った!
でも出ない・・・

「仕方が無い、牽引しよう」

そして・・・・

1998/2/17 午後4時丁度、第一子誕生。
2645gの女の子。
その瞬間感動で涙が出そうだった。
Dr.も「もう出てくるから、ちゃんと見ておきなさい」と言ってくれた。
そう言ってくれなかったら、多分あそこまでの感激は生まれなかったと思う。
で、まず私の第一声「女の子でよかったー」
後で聞いたら、彼の第一声も同じだったって!

さあ感動も束の間、『次』が待っていた。
第二子を産まなければ。

前以て言われていた言葉
「一人目が生まれて、スペースができ、中で逆子になったら、帝王切開ですから。
オペの準備も出来てますよ」

ココまで頑張って、それはぜーったい嫌だ!!
「動くなよー・動かないで~」と祈る。
エコーの結果、御利巧さんに静かにしていることが分り、出産続行!
でも力が出ない・・・
「明日にしようよー」と言ったけど、軽く流された(当たり前だけど・・・)

でも、娘が大きめに生まれてくれたので、何度かいきんで、スルッと第二子が20分後に生まれる。
2110g・男の子。呼吸不全があったけど、スグに回復。よかった。

出産が終わり、やれやれ~とホッとしていたら、【後産】と言うものが待っている。
コレは、胎児の周りにある、胎盤を出すもので、普通はスルッと出るものだそうだが、私の場合双子を2000以上お腹で育てたので、子宮に胎盤が張り付いてしまっていたのだ。
コレを出すのに必死のスタッフ!

お腹をギューギュー押され、手を突っ込んでかき出したり・・・
出産で「痛い」と言わなかった私も、コレには参った!
「痛いから明日にしてー」叫ぶ!!
若い看護士さんが手を握ってくれたりし、約20分(私的にはもっと長かった)格闘の末、ようやく開放された・・・

陣痛促進剤内服から丸1日。
何とも言いようのない、疲労・・・
でも、連れてきてもらった、子供達はやはり可愛くて仕方が無かった。

男の子の方は、暫く保育器に入ることになった。

長かった~。

翌日、父から労いの電報が。
「おめでとう、日の丸飛行隊が云々・・・」

日の丸飛行隊?何だそれ?

後でその意味を知ったが、唸って必死だった私が知る由も無い。

でも思う、確かにオリンピックで金メダルを獲る事は、日々の努力の積み重ねなどで、大変な思いの結晶。感動に値するが、出産はそれ以上!(自己満足に過ぎないかもしれないが)
女性にしか味わえない、感動だと。(男性諸君ゴメンなさい)

さて、一仕事終え、ホッとしていた、翌日気になることが・・・
そのことで、暫く落ち込み泣くことになった。

気になること

Posted on 3 月 14, 2005 under 04.それは長い時間だった | No Comment

無事双子の自然分娩を終え、ホッとしていると、お腹が『グルグルッ』
そして、トイレで震えた・・・
出てきたのは、粘液便。

出血はしていないものの、イヤーな物に変わりは無い。
スグに看護士さんに報告。
子宮からの排出じゃないか聞かれるが、違うものである。

スグに内科を受診することになった。

随分前に受診したきりで、UCであることすら、忘れていたも同然だったが、出産後再燃するパターンがあることは、聞いていた。
久々の内科。
主治医が移動の為、変わっていた。
何とも言いがたい、大柄・・・太ったDr.である。

「検査しないと何とも言えないが、その可能性は充分ある。薬で抑える方がいいが、そうしたら母乳は無理だな・・・どうする?」

そう聞かれ、心が泣き出しそうだった。
まず思ったのが「この先生、他に言い方無いの?」
【母乳があげられなくなる】
子供を産んでの楽しみを、奪うような表現に聞こえた。
以前も、我が子にあげられず、泣いたのに、今回も?
それを「どうする?」と聞かれても、答えられない・・・

結局、「(薬を)飲まないと大変なことになるでしょ」と飲むことになったのだが、そう決まった途端、涙が出て止まらなかった。
自分の病気をまた恨むことになってしまった。

夜中に涙して、彼のところに電話した事も!

結局、母乳は娘が初乳を飲んだだけ・・・

授乳室で皆がおっぱいをあげているのに、自分だけミルク・・・寂しかった。

でも、退院の頃には、そんなことで悲しんでいる暇が無いほど、やらなくてはならない事が沢山あることを学び、慌しく退院となった。