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Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
双子の離乳食が始まった、秋の昼下がり、1本の電話!
母からだった。
その内容は、私の心に衝撃が走った!!
「お母さんね、脳腫瘍なんだって・・・」
一瞬何を言われたか、判らなくなりそうだったが、『私が落ち着かなくては!』と、気を取り戻し、母の話を聞く。
「耳の後ろに出来ていて、良性なんだけど、大きいから手術しないと、神経を圧迫するみたい・・・」
以前から疲れ易いのは知っていたのだが、まさか“脳腫瘍”だったとは!!
母は何日か悩んだ末、12月にオペを決めた。
こんな時、何もしてあげられない、もどかしさを感じる。
入院前にかかってくる母からの電話は、弱々しくて・・・
それも看護するのは、あの父!
更に心配だった。
案の定
「勝手にあんな遠い病院を選びやがって・・・」
と悪態をつかれたとか!
悲しくなるばかりだ。
母が、関東の病院で【入院・オペ】をしても、遠く福岡の空を飛ぶ飛行機を見ながら、祈る事しか出来なかった。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
12月、母のオペは、無事終わったと、妹から連絡が入る。
妹は実家から車で2時間ほどの所で、新婚生活を送っていた。
半年ほど前、彼女の結婚式に、新郎のお母様へこんなお願いをしていた。
「私達は女兄弟で、実家には両親の面倒を見る人がいなくなりました、私は福岡と遠いので、何かあった場合には、妹に頼むこともあるかと思いますので、よろしくお願いします」と・・・
まさか、こんなに早くそんなことが起きるとは、夢にも思わなかった!
その後も妹は何度か病院に、足を運んだそうで、少しホッとした。
父が見舞っても、衝突してばかりでは・・・と危惧していたからだ。
その後の経過も順調との事で、正月前には退院することが出来た。
ただ、神経をいじらなくてはいけなかったとの事で、左顔面の麻痺が残ってしまった。
顔面のしびれ、まぶたが閉じない、そして左耳が聞こえない!
かなり辛いであろう。
私は居ても立ってもいられず、年末から、「子連れではあるけど、手伝えれば」との思いで、帰郷することにした。
やはり!と言おうか?父は頭を手術して間もない母に、食事を作らせたりしていたとの事。
少しでも、役に立ちたい一心だった。
(ただ、母にしたら賑やか過ぎて、余計休まらなかったようだが・・・)
行きは彼が一緒に来てくれた。
これは、乳児(満2歳未満)一人に付き大人が一人ずつ付かなければならないからなのだけど。
仕事初め前日に一人福岡に戻る。
それからは、子供の離乳食などもあり、結構疲れてきていた。
父はかなりの偏食で、私の作るものにいい顔をしない・・・
そして、本当に疲れたと感じた頃、とんでもないことが起こってしまった!!
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
実家の応援のために、帰省していた私達親子に、とんでもないことが、起こってしまった!
ある日、子供たちが相次いで、高熱を出してしまったのだ。
近くの小児科にかかると【インフルエンザ】の診断が下された。
「ありゃ~」と思ったのも束の間、翌日には私まで熱を出し、同じく「インフルエンザだね」と言われてしまった・・・
応援に行ったはずが、逆に足を引っ張ることになってしまったのだ。
九州の彼からは「ばあちゃんが危ない、スグ帰って来い」と連絡が来るが、こんな高熱の子供たちを抱えて、どうやって帰るんだ?
「双子の顔見せれば元気になるかも」と言われても、『子供たちを殺す気?』と思う。
“ばあちゃん”84歳・・・・
こちらは一向に、回復せず、とうとうインフルエンザの猛威は、術後間もない母にまで!
帰省したことに後悔したことは、言うまでも無い。
九州のほうは、ばあちゃん頑張っているとの事。
て、彼、仕事は?
ばあちゃんにいつまで付いているつもりなんだ?
彼に電話で「そこで死ぬの待ってるみたいだね」一言言ってやった!
そんな感じにしか取れなかったから。
数日後、徐々にこちらが落ち着き始めた頃、亡くなったという報告があった。
葬儀に掛けつけるよう言われ、まだ熱があったが、取りあえず一人で向おうとした。
しかし、母に「そんな無理でしょ」と、止められ弔電を入れるのみとなる・・・
これが、どうやら彼のお気に召さなかったようで、私への不信が募り始めた様子。
更に数日後、まだ微熱が残る、子供たちを妹がサポートし、福岡に戻った。
この時の“インフルエンザ”が、後に家庭の危機に瀕する、恐ろしいものだったのです。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
福岡に何とか戻るが、親子三人、なかなか体調が回復しない。
特に私が!
一度内科を受診した時には「風邪でも引いて、状態が悪くなりましたか?」と、Dr.に言われてしまうほどに、【再燃】と言う言葉が当てはまる状態になってしまっていた。
子供たちは、1歳になり離乳食を1日3回にしなければならなかったが、そんな体力さえ無くなっていた。
救いは、子供が二人で生まれてきてくれたこと!
1対1で相手をしなくともよいからだ。
二人で遊んでくれる。
しかし、外出がままならない。
社宅の三階から二人を下ろすのだけで、くたびれてしまう。
買い物もおろか、病院通いなんて、とんでもない情況!
インフルエンザが治まっても、体力は落ち・・・
そして、恐れていた事が起こった!
【下血】
腹痛・下痢・そして下血により、トイレから離れられなくなってしまった。
もう育児どころではない!
子供二人を抱えての受診も出来ず、彼に相談する。が・・・
「そんなに会社休めるか」
と冷たくあしらわれてしまった。
なかなか受診できないまま、日にちが過ぎていき、やっと受診した時には・・・とんでもない状態になっていたのでした。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
何とか彼に休んでもらい、病院に行くことが出来た。
その頃には、トイレに駆け込むたびに、便器の中は血の海!
それが、幾度と無く繰り返されている状態だった。
待合ロビーで、暫く待つと私の名前が呼ばれる。
言われるがまま、診察室前に行こうとした途端、
「ちょっと待って!顔色が悪いよー処置室で寝てましょう!」
と看護士さんに言われ、中央処置室のベッドで横になる。
「あーっ幸せー」
何となく横になりたかったのは確かなので、思わずそう思ってしまった!
処置室の看護士さんが【採血】していった。
暫くして、主治医が大きな体を揺らして、私のベッドサイドに登場する。
「今日は帰れないね~ ヘモグロビン6.5だし・・・」
「・・・・・」
「!えーっ入院?そんな~」
頭がパニック状態!!
家に居る子供達どうしよう!?
だって、ついこの間ゆう♂が歩き始めたばかりで、ゆう♀なんて、まだまだ歩くに程遠い状態の子供達と離れてしまっては!!
本当にどうしていいか分らないが、点滴をして帰れるような、状況でないことは、自分自身分っている。
でも母親が、入院して子供達の世話をどうするか?
そんな事考えたことも無かった。
予期すべきことだったのに!!
彼と話し合い、彼の実家にお願いすることになった。
今になって思う、いくら状態が良くても、難病を抱えていることには間違いはないのだから、前以てイザという時に子供をどうするか、パートナーと話し合うべきだったと!
彼の実家は、私の病気は完治しているものと思っていたから、寝耳に水といおうか何と言おうか?
子供と離れることになって寂しいのだが、かなり体力、気力共に消耗していた私は、正直入院にホッとし、暫く眠った。
九州に来て、出産時意外初めての入院となる。
今度はどのくらい、居るんだろう?
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
子供達は1歳になったばかりで、その子供にうつされたインフルエンザにより、再燃し、大量の下血。
ヘモグロビン6.5になり即入院になった私。
今まで、ステロイドは敬遠してきたが、子供を抱える身、副作用の【ムーンフェイス】なんて、気にしてはいられない!
初ステロイド服用だ。
60ミリからスタートすることに。
でもその時には、薬がどうこう言っていられない状態で、ひっきりなしに、腹痛が襲ってくる。
貧血が酷いので、ベッドサイドにポータブルが置かれた。
恥ずかしいのだが、仕方ない。
勿論IVHにより、絶食にも!
ただ、寝てはお腹が痛くなり、トイレ・・・それを繰り返す日々。
子供達が気にはなるが、電話の所になかなか行くことが出来ない。
電話をしても、腹痛になることは多々ある。
それも恐怖なのだ!!
随分貧血も改善された頃、看護士に「ポータブル片付けるわね」と言われた私は、そのままにして欲しいとお願いした。
病室からトイレまでかなり距離があり、IVH&絶食では、タダでさえゆるい便が、更にゆるく、点滴台を引いてでは、間に合いそうに無いからである。
ところが、「他にも必要としている人が居るんですから!」とキツク言われ、相当落ち込んだ。
「そんなのは分っている。けど、私にとっても切実なのに」
子供と居れないもどかしさも加わって、悲しくなってしまった。
何ともいえない孤独感・・・
涙が溢れた。
その時偶然主治医がやってきて、私に声を掛けた。
事情を話すと「ちゃんと、必要だと話しておくから」と言ってくれ、心強くなる。
初めて会ったときには、嫌悪感だったDr.だったが、後に冗談を交わすまでになろうとは・・・
暫くしてさっきの看護士が来た。
「事情も聞かないで、ごめんなさいね」
それからは、何事も相談できる存在の人となった。
病院・・・患者はある意味、孤立してしまう環境だが、看護士とのコミュニケーションはとても大事だ。
笑顔の談笑もあれば、対立も。
それでも、互いが歩み寄れるその病院を私はかなり気に入った。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
ベッドの上で、ボーっとしていた私の耳に
「おかあさーん」
可愛い声がした。
入り口を見ると、自分の娘が私の方に歩いてきた!
ビックリした!!
入院前は歩く気配さえ感じなかった娘。
それが立派に歩いて私の元にやってきたのだ。
涙が出そうになる。
息子が、その後からヨチヨチ歩いてきた。
義父母が、1時間半掛けて、仕事を休みわざわざ来てくれたのに感謝する。
IVHで繋がれながらも、子供達を抱っこし、離したくなかった。
あまりの嬉しさに、近くに居た看護士さんに
「1ヶ月ぶりに子供に会って、嬉しい!歩けるようになったんですよー」と話す。
看護士さんも「会えてよかったね」と自分の事のように、喜んでくれた。
ところが、後でこの会話が、問題になるとは思いもしなかった。
数年後義母に「あん時は家の恥をさらされて、もう二度と連れて行くもんかて思うたもんね」と言われた。
私には意味がサッパリ分らなかった。
看護士さんは我が子を佐賀の夫の実家に預けていることを知っていて、片道2時間近くかかるところに居るのも分っている。
そんな遠くから、わざわざ連れてきてくれて、感謝していたのに、何故?
どうも、1ヶ月も会わせて貰っていないという風に捕らえたらしいのです!
そんな事一言も言った覚えは無いのに!!
そう言われた時には、悲しくなりました。
感謝したのが、裏目に取られる。
寂しいものです。
そのことを知ったのは、もっとずっと後だったのですが・・・
見舞いから帰るとき、「バイバイ」は言わず、病院の出口で自然と別れた。
でも抱っこされた二人の目は「おかあさんはいっしょにいかないの?」と見えなくなるまで、訴え続けていたのを今でも忘れません。
多分あの光景は、一生頭から離れることはないでしょう。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
ステロイドが効いたのか、大分腹痛も無くなり、逆に便秘に近い状態・・・
それでも、お腹がグルグルいうと、点滴台を引いて行くトイレへ。
そこは遠かった・・・
たどり着くまでに、かなり焦った記憶!
今回点滴台の名前は『ポチ2号』
たまに、機嫌が悪くなり、動かなくなる。
そんな時は看護士さんが、車輪に油を差してくれる。
さて、体調もだんだんとよくなったが、絶食の身。
1日が暇で仕方ない!
売店は小さく、雑誌がチョコチョコある程度・・・文庫本欲しかったなぁ
新聞がお友達だけど、午前中で終わってしまうし、とにかくヒマなのである。
病棟内をフラフラして、友達作り。
そのために、色々な病気の事知ることが出来た。
そう考えると、病気を持つのも無駄なことではないと、その頃感じ始めた気がする。
【糖尿病・肝炎・ガンetc.】さまざまな人と話をした。
そして、私は恵まれていると思った。
経済的援助に加え、この病気自体では【死】の危機にさらされる事は無い。
少し、入院という形で、お休みを貰えたのだとそう感じた。
7/7七夕・・・といえば、結婚記念日だ~
「彼のことだから、きっと何もしないだろうな・・・」
なんて考えていたら、やってきた!
手に花束持って。
「今日結婚記念日だもんな」
少し照れ臭そうだ。
来年は、自宅でご馳走並べて彼の帰宅を待ち、お祝いしたいな~
そう思いながら、眠りに着いた。
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
随分と、ヒマになったもんだ。
何もすることが無い日が続く。
日課と言えば、検温、点滴交換位なもの・・・
皆がご飯の時には、テレビを観てたかな~
相変わらず、料理番組!
そんな時に、お見舞いが、彼の会社の上司。
入籍の時、立ち合い人になってくれた方。
こういう状態の時は、誤解されやすく、「ちょっとふっくらしたんじゃない?」とか、「これなら退院も近そうだね」という言葉が出てくる。
何故誤解かというと、ステロイドの副作用【ムーンフェイス】によって、顔がむくみ、前より太った感じに見えるのだ。
更に私の癖とも言おうか、必ず笑顔がでるので、余計である。
辛くてもつい・・・癖なんです・・・
そうこうしている内に、外は夏真っ盛り。
病院の窓から、大濠公園等のの花火大会を見物したりと、それはそれで楽しかったけど、今回も入院が長くなり、子供達に会いたい気持ちが募っていく。
たまに、電話をするが、まだまだ赤ん坊、話すのもままならない。
声が聞けただけ、よかったのではあるが。
ただ、昔から電話恐怖症!
電話していると、決まってお腹が痛くなる。
なかなか電話してこない嫁に、向こうでは更に嫌味を言っていたとか・・・まあそれは過ぎたこと!
退院は、どれだけステロイドの量が減ったかで決まる。
これを多く使っていると、色々と感染しやすいからだ。
やっと、食事が始まり、ステロイドも減ってきて「そろそろ退院出来そう」と思ったある日、彼から思わぬ一言が・・・
Posted on 4 月 15, 2005 under 05.二度目の入院 |
5月中旬に泣く泣く入院し、ステロイド投与、IVHによる絶食で、8月には食事も取れるようになった私。
ステロイドの量も、退院できるまでに、減量されてきたある日、彼が見舞いに来て、こう言った。
「ばあちゃんの新盆の手伝いは出来そうか?」
一瞬言葉を失った。
3ヶ月近く入院し、外の空気すら殆ど吸っていない私に、何でそんな事を言うのだろう?
私の病気を1番に理解してくれているはずの彼の言葉。
悲しくなる。
「手伝いたいのは山々だけど、かえって足手まといになるよ」
そう答えるしかなかった。
彼が帰った後、看護士さんに相談。
それは、よくないということに!
Dr.の計らいで、お盆前に予定していた退院を、お盆後にしてもらう。
退院してスグに、法事に出席すること自体怪しいのに、その手伝い・・・考えただけでも目が回る。
確かに長男としては、肩身は狭いと思うが、そこで私が倒れる方が、問題じゃないのかな?
などと、色々考えてしまった。
法事はpassしたものの、今度は退院後のことで、一騒動起きるとは、思いもせず、「早く子供達に会いたい」と退院の日を心待ちにする私だった。