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Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
緊急外来で出迎えてくれた主治医は、一人で来た私の荷物を持って病棟まで案内してくれた。
歩くのがやっとの私。
ベッドになだれ込む・・・
そして、「明日準備が出来次第、輸血するからね」の言葉が!
一瞬頭の中が真っ白に!
分ってはいる。こう頻繁に下血していては、鉄剤・増血剤では間に合わない事は。
でも、輸血のリスクを先ず考えてしまう。
その頃、血液製剤による、HIV感染が話題になっていたこともあってか、心の中ではかなり抵抗感があったし、【輸血】とはいったいどういう事をするのだろう?という恐怖感もあったから・・・
だけど、その時の私には、それを拒否できるほどの体力的(回復の)自信が無かったのは、事実である。
輸血を承諾し、その日はベッド上安静。
点滴により、少し生き返った感じがするが、あとは眠ることしか出来なかった。
明日行われる【輸血】というものに、不安を覚えつつも・・・
そして、今後の彼との生活面への不安を覚え始めていた。
瀕死の状態で一人で病院に向かった悔しさを思い出すと、考えてしまうのは、当然だろうと!
更には、子供達のこれからが心配だった。
寂しい事に、多分また、何ヶ月もココにいるのだろうともベッドの中で、思っていた。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
朝が来た。
今考えると、その晩は眠れたのかな?
でも、沢山の不安を抱え、なかなか寝付けなかったのは覚えている。
主治医が来て、輸血の説明と、同意書を置いていった。
それにサインするしかない私。
だって、コレしかないよね?と心の中で言い聞かせながら・・・
ドキドキしながらそれを待つ。
一応彼に報告・・・したのかも今ではハッキリしない。
それだけ、【輸血】に対して緊張していた。
まだかまだかと待つこと、何時間だったろう?
きたっ!
どうするんだろう?
何されるんだろう?
看護士さんが、名前と「血液型は?」と聞く。
「ABです」
こんな事は、名前だけで充分なのだろうけど、患者を安心させる為なのかな?
などと考えながら、これから先の工程を待つ。
主治医が来て、ベッドを動かす。
単に、先生のお腹が大きくて、そこに座れないから、ずらしただけの話。
本当に凄い体型!
そして、ふっとーい針を、私の細い血管に・・・
ブチッ
本当に音がした!
多分1回で入ったと思うが、それも覚えていない・・・
そこで、ようやく「なんだ、輸血って点滴と同じじゃない!」と気付く。
でも動いていいのかな?
トイレ行きたくなったら、どうしよう?
ポータブルくらいだったら、使って良いのかな?
今度は、そんな事を考えた。
コレって、UC患者には切実な問題です!
2パック輸血が終わり、体中が漲る感じ!
とまで、すぐに行くわけは無い。
とりあえず、コレによって、出血死は免れたという所だろうか?
だから、これからは、絶食による治療が続く。
緊張の【輸血】に次いで、緊張するIVHが待っていた。
この病院でのIVHエピソードを、今度書くとしましょう。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
UC患者は、入院すると大体【IVH】というものをして、絶食しながら、腸を休める。
【IVH】中心静脈点滴。
UCの場合、ココから栄養を入れるのである。
24時間エンドレス。
止める時は、体調が良くなってきて、お風呂に入る時等の極短時間に限られる。(たまに例外もあるけど)
さあこの【IVH】、挿入場所は大体が、鎖骨下。もしくは、首の辺り。
それが入らない場合は、腿の付け根(大腿部)などになる。
九州で初めてUC入院した時は、主治医のお腹が大きすぎて、体が曲がらないのを理由に、『外科部長』がやってきた。
この処置自体が2度目の経験とあって、私もそれほど緊張していなかったが、やはり顔に布を掛けられると、見ることが出来ない分少々不安・・・
私って、不安になるとしゃべりたくなる。
しゃべって、緊張を誤魔化したいのだけれど、『外科部長』と言われると、冗談も言い辛い。
黙って、針が入るのを待つ。
先ずは、麻酔の注射。こちらが痛い・・・
そして、その部分に、太い針を刺すのだが、体に抵抗感を感じるほど!
「この感覚嫌だな~」
などと思っていたら、急に『外科部長』
「10分止血!」
それ聞いた私・・・ちょっと考えた・・・
鎖骨下、ギューッと押され、痛いくらい。
「ねえ、もしかして、動脈指した?」
心の中は動揺隠しきれず。
でも冗談言えない!!
暫くして、何事も無かったかのように、首の方に刺された・・・
首って、抜いた後に、怪しげな跡が残るなんてその時思いもしなかったなぁ~
結局あの『止血』の意味は未だ不明なのだけど・・・
一瞬、「子供達、元気に大きくなるんだよー」と頭の中で思ったのは、本当。
さて、九州での2回目通産3回目の、UC入院。
今回担当は、若い外科医。
このDr.は前回入院中、前のベッドのおばあちゃんの担当医、二人のやり取りが面白く、いつしか、私も話題に加わったという顔見知りのDr.。
安心して任せることに。
「とにかく、首だけはやめてくださいねっ!」
とだけお願いする。
冗談言いながら、始めたが、どうやら悪戦苦闘気味。
何度も刺し直している様子。
刺す方は焦るは、刺される方は疲れるは・・・
Dr.の方から
「ちょっと休憩しましょう」
と言ってきた。
私もグッタリだ・・・
で、結局鎖骨下、無理でした。
首って、後々隠して歩かないといけないんだけど~
終わってからDr.に
「先生実は私に恨みがあるんでしょう?」
「えっ、そんな事ないって!!」
焦り気味に答えた真面目な先生だ。
そんな雰囲気が、この病院の好きな理由の一つでもあるんだけど。
この他にも、点滴止まってるの気付かなくて、看護士とケンカしたりしたけど、その後仲良くなれたり。
病院スタッフに何でも聞ける環境、いいですね。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
IVH&絶食によるクリスマス。
そして、お正月・・・
この時は、2000年問題で、「電気、水などが止まるかも!」と、正月を病院で過す患者に、ポットにお湯や、水を用意しておくように話していた。
最悪、食事はカップめんになるかも!なんて冗談のような、本気の話。
大体の患者は、年末年始、帰れそうな状態であれば、一時帰宅して新年を迎える。
私は、点滴に繋がれるは、半端じゃない量のステロイド投薬で、外に出られるわけも無く・・・
4人部屋でもう一人残った、母くらいの人と一緒に過すことに。
消灯時間が過ぎても、二人で紅白を観る。
看護士さんも互いが了承しているし、正月だからと、見逃してくれる。
翌朝は、何とも豪勢(入院患者にしてみたら)な正月料理が、彼女の前に並ぶ。
恨めしそうに眺め、「きんとんでも食べる?」と冗談で返してくる辺り、二人の息が合ってきた。
「あなたは凄いわよね。食べられないのに、それを受け入れているんだから」
感心されてしまった。
でも、入院も3度目ともなると、結構慣れたもの!
というのは間違いで、体調が悪いと、何も口にしたくないものなのだ。
でも、この正月料理はちょっと食べてみたかったなぁ~
子供達は、一旦保育園を退園し、また彼の実家に預けられた。
私は「今回私の実家にお願いして!」と頼んだのだが、彼は首を縦には振らなかった。
入院の連絡を受けた、実家の両親も、「こちらで、面倒を見るから」と、九州入りしたが、彼の態度は頑なで、向うの実家にある、保育園に一時預かりしてもらうことに。
折角九州に来たのだからと、暫く私の元に通ってくれた両親。
それが、今後を左右する重大事が起こるとは、思いもしなかった。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
実は両親が九州入りする前に、母に愚痴の電話をしていた。
「彼が来ないので、お金が無い!!」と・・・
入院中は以外にお金がかかる。
と言っても、毎朝暇つぶしに買う新聞と、テレフォンカード、葉書&切手(便箋・封筒)くらいなものなのだが、何ヶ月もいると、細々した物も必要になる。
で、彼が来てくれないので、日用品は売店で買わなければならない、勿論定価!安くは無い。
私の「お金が無い~」が、自分が知らない所で波紋を広げていたとは!
どうやら、両親は『生活に困っているほどお金が無い』と思ったようだ。
そこで父が彼に、少し援助と言う事で、いくらか渡したが、彼は「必要ない」と断った。
その言葉に父が
「薄給取りの癖して!」
と、暴言を吐いたと後に彼から聞かされた。
「わ~~っ何と言うことを言ってくれたんだ~~~」
以前から、私の父を嫌っていた彼。
その彼にそれはヤバイ!!
案の定、その話は彼の両親に伝わる事となり、更に更に私に対する不満が、彼サイドで募っていったようである。
でも、そのことを聞かされるまでは、何も知らないので、
「彼は何で見舞いに来てくれないんだ?」
といった気持ちしか持てなかった。
その気持ちが、久々に現れた彼に対し爆発した!
久々に来たと思ったら、かなりの仏頂面。
その顔に思わず・・・
「そんな顔をするんだったら、来ないでよーッ」
と言ってしまったのだ。
「わかったよっ!!」
とあっけなく出て行く彼に、
「ちょっと待ってよっ!」
夫婦喧嘩が始まる。
夫婦喧嘩は犬も食わない。なんて言うけど、この喧嘩に、かなり長~い尾ひれがついてくるなんて!
後にビックリする羽目に!!
入院すればするほど、気持ちはブルー・・・
コレって、ステロイドのせいだけじゃないと思うんだけどな~
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
子供達の2度目の誕生日、私は病院の中。
まだまだ外出など出来ない状況だった。
子供の成長を目の当たりに出来ないもどかしさ、寂しさ・・・
更に、誕生日に一緒にいることの出来ない虚しさが、込み上げてくる。
せめて、プレゼントだけでも!
と考えるが、ここから出られぬ身、何も用意などできるはずも無い。
ところが、ある日ひらめいた!!
「電報は?今キャラクター電報て言うのがあるじゃない!」
病院の公衆電話から電話局へ。
「お客様の電話に確認をさせていただきたいのですが~」
電報って、簡単には出来ないんだ~~~
諦めて、電話を切る。
父の件や、喧嘩したこともあって、彼には相談できなかった。
そこで、実家に
「キティーちゃんとドラえもん電報を送って欲しい!」
とお願い。
文面には
【ゆう♂(♀)となかよくね。おかあさんはいつも、ゆう♀(♂)のことをおもってるからね】
とそれぞれに入れてもらう。
子供の元に届いた縫ぐるみは、退院前の外出時、彼の実家で二人が大事にしてくれているのを見て、送ってよかったと感じた。
では、肝心の電報は?
辺りには、それの気配が無い。
誰もいない時に、手紙入れなど探したが、全く見つからなかった・・・
その頃、彼サイドでの私や、私の両親に対する不満を何となく感じていたし、田舎の農家では、【病気の嫁】の立場は弱い。
そのためか、「電報はどうしたか」を、怖くて誰にも聞くことが出来なかった。
私にとって、あの電報は、格段の想いを込めて送ったもの。
途中でトイレに行きたくなるのが怖くて、電話恐怖症になっていた私の精一杯。
それを、
「捨てた!」
と言われたら、きっと泣いてしまうに違いない!
だから・・・聞けなかった。
あれから、もうすぐ4年・・・
今、子供達のおもちゃ箱には、その縫ぐるみが、「あそんで」と子供達に呼びかけている。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
12月に入院し、もう3月を迎えていた。
今回の入院は、症状的に進行していると実感するもので、かなり苦戦を強いられたが、やっと食事が取れるようになり、後はステロイドの量によって、退院になる所まで来ていた。
ステロイドの副作用は、色々とあるが、中でも【過食】には驚いた。
絶食から開放され、常食(普通のご飯)になる頃に、その症状が現れた私!
朝・昼・夜と、食事がどれだけ取れたか聞かれるのだけど、私の台詞は決まっていた。
「足りない~~~~」
そのうち、看護師さんも
「足りないんだよね?」
と聞いて
「はいっ!!」
と答えるように・・・
あまりに【足りない~~~~っ】と言うものだから、な・ん・と・っ
「特別にね!」
と、デザートが付くようになったのだ!
言ってみるもんだ。
デザートと言っても、消化のよいゼリー等だが、もうこの上ない幸せだった。
これで、こそこそ?買い食いしなくて済む。(食べてもよいもの限定付きで、許可されてたんだけど、お金無くなるもんね)
このままココに居たかった。
長い入院生活、沢山の患者さんに会い、退院を告げられると、不安がる人を何人も見てきた。
その人達の気持ちがよく判るのだ。
「私は退院しても何も出来ないのでは?」と・・・
そして、更なる不安は、彼との生活・・・
今回の入院で、ぎくしゃくしている事は明白。
どう接していけば良いか、頭の中はそればかり。
その気持ちは、彼も同じだったようで、退院前の一時外泊の帰り、私の頭は真っ白になってしまうのだった。
Posted on 6 月 17, 2005 under 07.病院で迎えた新年 |
退院を目前に控えたある日、一時外泊の許可が下りた。退院が近い為の慣らし。
彼の休みの日に、一緒にこどもたちの元に出掛ける。
夕方まで彼は仕事ということで、一人で一度社宅に戻ることに。
タクシーで帰ろうとするが、お金なく、
「タクシー代で、5000円下ろしたいんだけど」
と彼に電話。カードで下ろす許可を貰う。
元々お金のことには煩い彼。
入院前も、「○○食べに行こうよ」と彼が言い出し、「お金ないよー」と言っても
「何とかなるさ、金は天下の回り物!」
と言っていながら、その月末「生活費が足りない!」と言うと
「何でないんだ?何に使ってんだ?」と凄い剣幕。
「この間、○○食べに行った出しょー?」
と説明すると、渋々口座から引き落とすのを認めるという感じなのだ。
だから、タクシー代でさえ、許可がないと下ろせない!恐怖感にも似た気持ち。
昼過ぎ社宅に戻ると、案の定凄い部屋!
何処を片付けたらいいやら・・・
取敢えず、その辺に散乱している、ビールの空き缶をまとめ、皿洗い。
私も整理整頓は苦手だが、ココまでにはなかなか出来ないな~感心してしまう。
彼が戻り、子供達が待つ?彼の実家へ。
車中は静まり返っていて、互いに何を話して良いのか分らない、気まずい雰囲気だ。
私の心の中は「子供達は私の事忘れていないだろうか?」という気持ちで一杯だったし、彼に今まで期待していた分、沢山の(私にしてみたら)裏切りとも取れる行為の彼に、何を話したら良いのか?考えてしまうのは当然ではないだろうか。
幸い子供達は私の事を覚えていてくれた。
でも何となくよそよそしいし、毎日顔をつき合わせている、ばあちゃんには叶わない・・・
内心寂しくなる。
1泊の外泊。
翌日はまた病院に。
復路も黙ったままの彼と私。
そして、病院の玄関前に着いた時、彼の口から出た言葉・・・
「・・・・・・・・・・・」
「えっ?」
「ちょっと待って!!」
それしか言えない私。
何も考えられない。
どうしよう?
どうしたらいいんだろう?
何をすれば?
そんな台詞が頭の中で繰り返される。
そのまま、病棟に戻り、ベッドの中へ。
涙は出ないが、「どうしよう?」と言う気持ちだけだ。
『お前と離婚しようと思う』
まだ、退院前に言われた言葉だった。